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雑学ブリッジ #2

ブリッジはいつごろ日本へ? ~日本のブリッジ黎明期~

ブリッジはいつごろ、どうやって日本に入ってきたのでしょうか。正確な記録はないのですが、20世紀初頭頃といわれています。国際社会にいち早く出て活躍した外交官や通産省、銀行、商社、海軍など外国とかかわりの深い人々が外地で社交上欠かせない教養であったブリッジを覚え、帰国後周りの人々に教えたことで広まっていったと伝えられています。なかでも英国海軍から学んでいた帝国海軍の軍人の間でブリッジが大変盛んだったとか。ブリッジは英国海軍から日本に入ってきたという説もあります。少なくとも日本におけるブリッジの歴史はおよそ100年に近いといえるのではないでしょうか。

山本五十六元帥とブリッジ

ブリッジを愛好してきた日本の著名人のなかで、最も早い時代の人物に太平洋戦争時の連合艦隊司令長官で海軍大将の山本五十六元帥(1884~1943)の名が挙げられます。山本元帥のブリッジ好きは当時から有名で、1930年代ロンドンで行われた軍縮会議に出席した折には随行武官とは勿論のこと、英国使節団代表ともしばしばブリッジを楽しんだという話もあります。

 

山本元帥とブリッジについて今でもブリッジ界で語り継がれている有名な逸話をご紹介しましょう。真珠湾攻撃成功を祝って東京のブリッジクラブ(昭和10年代当時「日本橋戦協会」というのがあったそうです。ブリッジ=橋と訳したのですね)が、

 

『雨風の師走の空も雲晴れて
グランドスラムの心地よきかな』

 

という歌を贈った時、元帥から次のような返歌があったそうです。

 

『グラスラは、ほど遠けれどリダブリて
ジャストメイキの心地こそすれ』

意味: 真珠湾攻撃の成功をグランドスラム(注:ブリッジで13トリック全部とることを宣言してプレイし、宣言どおりに完勝すること)に例えて称賛されたのに対して、元帥は『いや、「無理だ」と言われていたゲームを「それでもできる」と強気に言ってかろうじて宣言どおりに勝てた、それだけのことに過ぎない』 

 

留学時代も含めてたびたび訪れていた欧米の実力を充分に知っていた山本元帥は開戦に最後まで反対していました。その後の戦況を見通していたような彼の心情が、ブリッジを知る人々に今もなおストレートに沁み入る返歌ですね……。

昭和初期のブリッジ

JCBLライブラリーに昭和初期に発行された2冊の貴重なブリッジ教本があります。

 

その1冊は、昭和4年(1929年)4月に発行された「カード競技 オークション・ブリッヂの遊び方 初歩編…研究編」  (著者:小渋雪 発行:朝日書房 定価:80銭、送料:8銭)。

 

その序文を一部ご紹介しましょう。ブリッジの特徴が見事に書かれているだけでなく、当時の欧米におけるブリッジ、そしてもっと日本でもブリッジが広まってほしいという著者の熱い思いが、一般庶民にも西洋文化が浸透し始め、モガ、モボが闊歩していた太平洋戦争前夜、華やかなりし昭和初期の世相とともにうかがえます。

 

「カード競技法は幾十百を数ヘますが、其上下を通じて一般的なものはローヤルオークションブリッヂの右に出づるものはないでせう。欧米諸国ではカードと言へばブリッヂを意味する位それ程盛んであります。これはダンスやゴルフの様に場所が要らないし、麻雀の様に高価で且つ取扱ひに手数のかかるものでもなく、唯一組のカード、一枚の紙、一本の鉛筆さへあればよろしいので欧米人は家庭に於いては勿論至る処汽車の中、船の中、飛行機の中でさへ行って居ります。全く時を選ばないし場所も選ばないものであって實に永遠不朽の流行とも申すべく親しめば親しむ程益々興味の湧き出る遊びであります。今や我が国はハイカラといふ言葉が廃ってモダンとなりダンスの時代となったのに欧米の社交界になくてはならない此競技だけが未だ普及されて居らないといふ事は甚だ遺憾であります。」 (後文省略)

 

  巻末にはまさに時代を髣髴させるキャッチコピーと推薦の言葉が…

  ■男女が理解し合ふに最もよいゲーム

   → 確かに。ブリッジはプレイする人の総合的人間性が最も表れるゲームといわれてい

  ます。

  ■今や欧米ではダンスと共に本ブリッヂを知らねば社交界へ這入れない事となってい

  る。日本も今やダンスは全盛となって来た。そして時代の要求は本書の現はれとなり、

  新しい婦人青年の室内遊戯として初心者及研究者のために本書カード競技ブリッヂを

  お勧めする。

 

 

 

そしてもう一冊は、昭和10年(1935年)8月、廣文堂書店から発行された「誰にも解るトランプ最新競技オークションブリッヂ實戦術 附 国際競技規則」 (著者:米国ボストン工業大学理学士 亀澤精一郎 定価:1円20銭)です。

 

                               

 

序文には、1927年の米国にはブリッジ教師が1000名おり、その数は1933年には5000名を突破していること、また、1934年の第9回ロンドン軍縮会議に日本を代表して出席した山本五十六元帥&事務官ペアと米国代表スタンドレー軍令部長・随員ペアとの間にブリッジの試合が行なわれた、など当時の世界のブリッジを知る上で貴重な記述がたくさんあります。そして丁寧に遊び方を説明している本文には写真が随所にみられるほか、巻末には、オークションブリッジだけではなく1932年改正コントラクトブリッジ競技国際規則全文も載っており、ブリッジの歴史をひもとく意味でも興味深い文献です。

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